E26・E42 阪和自動車道

作成 2025年2月25日

 阪和自動車道(はんわ-じどうしゃどう)は、大阪府松原市の松原JCTを起点に、泉州地域および、和歌山市・御坊市などを経て、和歌山県田辺市の南紀田辺インターに至る高速自動車国道。大阪都市圏と紀伊半島を結ぶ大動脈であり、かつての紀州街道・熊野街道に沿った道筋をたどる。

 建設着工時期を含めた生い立ちの違いから、地域ごとに高速道路の雰囲気が大きく異なっており、序盤こそは阪神高速を彷彿とさせる高架区間である一方、県境の山越えや紀伊半島縦断では理不尽な構造を持つトンネルが続いたりするなど、継ぎ接ぎとした印象が色濃く残る。

スペック情報

走行記録

下り行き(松原JCT→南紀田辺IC)


その1(松原IC→岸和田和泉IC)


その2(岸和田和泉IC→和歌山JCT)


その3(和歌山JCT→有田IC)


その4(御坊IC→南紀田辺IC)

インターチェンジ

E26・E42阪和道あれこれ

本当の「起点」

 E26阪和道の真の起点は松原インターであり、そこが法定路線(天理吹田線・松原那智勝浦線)との境目となっている。但し、NEXCO西日本も含め、実際には北側にある松原JCTを起点として案内している

 これは、1969年に開業した地点では、現在のE25西名阪道の前身だった国道25号西名阪道路の西端インター(=そこが当時の松原インター)として機能しており、当時は並行する主要地方道・大阪中央環状線と直接繋がっていたためである。1988年3月のE26近畿道、1989年3月のE26阪和道接続に伴い、旧・松原インターは高架化されて現在のジャンクションに生まれ変わった。それに合わせて旧・松原インターが担っていた出入口ランプを、現在の2代目松原インター及び、E26近畿道・長原インターに分散させて現在に至っている。

最初の開通区間

 E26・E42阪和道が最初に開通したのは、大阪府阪南市の阪南インターから、和歌山インターを経て、和歌山県海南市に位置する海南インターまでの区間であり、1974年10月に開通している。その後は1990年代まで、泉州地域を結ぶ高速道路が整備されなかったこともあり、長らくは国道26号の県境越えバイパスという位置づけで飛び地の状態が続いていた。

JR阪和線・JR紀勢本線に並行

 紀州街道・熊野街道に沿った道筋を辿るため、起点から和歌山インターまではJR阪和線、和歌山インターから終点まではJR紀勢本線(きのくに線)と並走している。段階的にE42阪和道及び、E42湯浅御坊道が整備された結果、自家用車でリゾート地の南紀白浜まで向かえるようになったことから、当地へ向けて特急列車(くろしお号)とは競合関係に晒されている。

 なお、泉州地域に関しては南海電鉄・泉北高速鉄道・阪堺電車とも並行しており、泉北高速鉄道に関しては、道中の泉北ニュータウン内において、E26阪和道の側道部を活用して鉄道が敷かれている様子を伺える。

【E26・E42阪和道で立体交差する鉄道路線】


JR西日本も、和歌山駅を境にして「阪和線」「紀勢本線(きのくに線)」となるし、国道も和歌山県庁そばで国道26号と国道42号が入れ替わるため、和歌山を軸として南北でそれぞれ高速道路の役割が異なっている様子を窺い知れる。

無理やり4車線化した場所がある

 海南インターから有田インターまでの区間は、E42湯浅御坊道と共に、最初の開通地点では拡幅を全く想定しない完成2車線として整備していた。これは、開通した1980年代の地点では、E42阪和道が単に和歌山都市圏を結ぶ程度でしかなかったためであり、実質的に海南インターへ向かうためのロングランプウェイという位置づけだった。その後、大阪都心との直通化で交通量が増大し、道幅の狭いトンネルを中心に身動きが取れない渋滞が多発したため、既存の道路施設を大幅に改変させた上で、無理やり4車線化を実施している。

おねだん

松原JCTから岸和田和泉インターまで

岸和田和泉インター以南

接続する他の道路

高速道路レポート

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