福岡県内の「平成に誕生した国道」を振り返る(3)
国道500号
作成 2018年9月20日
大分県別府市を起点に、大分県北部・福岡県筑豊・筑後地方を経由して、佐賀県鳥栖市に至る一般国道。福岡県区間は大分県との県境に位置する野峠から、添田町・東峰村・朝倉市・小郡市を経由後、西鉄天神大牟田線・小郡駅近くの佐賀県境までを結ぶ、約50km程度の部分を国道指定している。
ここでは福岡県区間のみ掲載。
ちゃっかりと福岡県内を通る、500号台最初の国道
添田町との境に位置する、東峰村(旧・小石原)の国道500号。
微妙に狭い程度だが、一応はそれなりに走行は可能。
東峰村(旧・小石原)の国道211号交差点付近。訪問時はダム工事による通行規制が行われていた。
国道500号などの「平成国道」が誕生した背景には、それまでの生活道路確保を理由とした建設から、既存の国道を補強する目的で追加指定を受けたという政治的な経緯も見え隠れしている。ここに「道路の長期計画」(日本道路協会・著)があるが、その中で「平成4(1992)年度の一般国道の追加指定」(p152-154)という項目の中で、平成国道を誕生させるための条件が記されている。
採択基準
何だかよく分からないが、ざっくり言えば「ここが国道だったら、追加予算が得られて満足のいく道路交通が可能になる」という思い込みで誕生した国道である。
実は国道500号が誕生した背景には、別府と鳥栖とを結ぶ「大分県北・国東地域テクノポリス開発計画」「鳥栖・久留米地域テクノポリス開発計画」の構想が存在しており、これらの都市を結ぶためのお墨付きを得るには、(2)の「地方生活圏の中心都市等を連絡する道路」の条件を満たす必要があった。そこで、国道制定前から存在する主要地方道を無理やり国道にアップグレードさせ、地図の世界で「ほ~ら一本に繋がっちょるばい」と言えば、名目上は一応、国道が存在することになる。
だが、元々が山岳地帯を通る国道な上、現在ではある程度改良が進んでいるとは言えども、アップダウンの激しい山道を延々と走るのは非現実的である。迂回路としての役割は果たせても、日常的にこの国道だけで別府~鳥栖を連絡するのは困難に近い。結局、国道にアップグレード出来ても、以前の主要地方道時代と同様、部分的に地元住民が使う程度に留まっており、余程のモノ好きや迂回を理由とした走行などを除けば、「名ばかり国道」と言わざるを得ない。
国道昇格をする上で重要になるのが、「国道のもと」となる主要地方道の存在である。主要地方道は広域交通をサポートする観点から、特例で設けられた都道府県道のエリート的存在。国からの補助が50%程出るため、実質的には県が管理する国道とほぼ同格の扱いを受けられる。
当時は建設省であったため、建設大臣が「ココに国道を指定するぞ」と判断すれば、既存の主要地方道をかき集め、さらには継ぎ接ぎが難しい場合には別の国道とも重複させる形で、強引に国道へのアップグレードが可能であった。事実、国道500号の福岡県区間は、県道32号+11号(+2号)の合計3路線で構成されており、一部ではそれでも国道として途切れる場所があったことから、国道211号・国道322号とも重複する形で今に至っている。
表向きには産業活性化を理由とした国道指定ではあるものの、悪路が目立つ主要地方道に無理やり国道指定させたところで、国道3号などに見受けられる大幹線道路とは名ばかりな道路が誕生してしまう。まあ、これを言えば昭和に誕生した国道も同義になるものの、不透明な国道指定の裏側には、やはり「国道として認められることで、我がムラがよくなって欲しい」という昭和の発想の延長線であるに過ぎないと言える。
参考文献:
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