北九州都市高速の廃道

訪問 2017年8月6日
作成 2018年8月8日

僅か数年で廃止された「仮出入口」

 北九州都市高速2号線の起点は、小倉駅そばにある小倉駅北出入口となっているが、その西寄りの部分に都市高速公社の管理用施設に転換された廃道がある。


旧・東港出入口。現在は廃止されて、都市高速公社の管理用施設に転用されている。

 廃止前のランプウェイは「東港出入口」と呼ばれていた。東港出入口の運用期間は1986年~1990年のわずか4年間。こんな短期間の間で高架橋連発の都市高速を整備するのは、いくらお金借りて整備するにしても、公共性のある道路整備としてはいかがなものかと思うだろう。

ホントは小倉駅の北側に作りたかった「苦肉の策」

 どうして短命な東港出入口が廃止されたのか探るため、図書館に保管されている「福岡北九州高速道路公社30年史」で調べて見た。すると意外な事実。計画段階での起点は、紫川の左岸沿いに整備する現在の小倉駅北出入口とほぼ同じ位置だったが、昭和49(1974)年の都市計画変更で小倉駅の北側にある浅野町3丁目地区に見直されたという。

 その後、紫川~浅野町3丁目への延伸は断念し、昭和58(1983)年に手前の住友金属小倉工場(現・新日鐵住金小倉工場)そばに出入口を設けることで、実質的に距離が短くなった。そこに設置されたのが「東港出入口」という、仮の出入口だったわけだ。

 しかし、この場所に作ってしまうと、隣接する東港JCTから戸畑・若松方面へ向かう2号線が利用できなくなるという問題が生じたことに加え、現在は4車線化されている国道199号バイパスも、当時は片側1車線の対面通行だったこともあり、周辺道路が大渋滞してしまう。結局、計画見直しで最初の計画にあった、現在の紫川左岸に出入口を再整備し、東港を「小倉駅北」と名称変更することで現在に至る、というわけだ。

東港仮出入口整備も苦労したらしい……


仮出入口周辺は山陽新幹線・鹿児島本線・新日鐵住金工場が建ち並ぶ過密地帯。
フェンスで覆われた「廃道」が、当時の物々しさを静かに伝えている。


当初の計画であった「紫川左岸」沿いに作られた、現在の小倉駅北出入口。役目を終えた東港の代替である。

 東港仮出入口の整備に関しても一言。当時の国道199号バイパスも、今みたいに立派に整備されていたわけではない。東港を整備する前フリとして、国道199号バイパスを4車線化するための工事を実施するだけで無く、最終的には現在の小倉駅北に延伸できるように、当時は大部分を仕切っていた住友金属小倉工場への国鉄引き込み線の解体・代替道路の再整備なども行わなければならなかったため、工場・警察・国鉄(現・JR九州)との協議を何度も重ねる必要があったのだとか。


東港出入口は単に税金の無駄と切り捨てるには早計である。確かに計画変更で何度も出入口が変更になったのは事実だが、そこには小倉駅へ直通させるために苦肉の策を何度も実施して、ようやく今の形に落ち着いている。こうした裏ドラマを見ていけば、単なる廃道と化した仮設道路も、少なくとも当時としてはそれなりに活用されていたと解釈するべきでは無いだろうか。

 ちなみに、本来の計画予定地であった浅野町3丁目には、西日本総合展示場やギラヴァンツ北九州のホームグラウンドなどが整備されたウォーターフロントとなっている。現在の小倉駅北も、延伸の可能性をチラつかせるような形にはなっているが、市の財政状況や小倉駅とは至近距離の範囲でしか無いこと、門司区へ向かう国道199号も比較的快走路であることに加え、並行して北九州都市高速4号線(旧・北九州道路)があることを踏まえれば、ムリして2本も必要ないという結論に至っている。 

 但し、現在、北九州市・下関市・福岡県・山口県と国土交通省が主体となって、関門海峡を何らかの方法で結ぶ「下関北九州道路」の整備が進行中であり、もしも2号線経由で反対側の彦島へ結ぶ計画が実現すれば、単なる盲腸線のようにしか見えない小倉駅北も、ひょっとしたら歳月を超えて延伸していく可能性はあると言える。

北九州高速2号線

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