E2A中国道あれこれ

設計要領

急カーブ・急傾斜が多い理由

 E2A中国道の整備にあたり、1957年の国土開発縦貫自動車道建設法の策定地点では、中国地方を一本の高速道路で結ぶ方針で建設が進められた。その際に山陰・山陽どちらからも可能な限り均等にアクセスできるように考慮されたことに加え、当時は関西と九州の早期一本化を最優先にしていたため、沿線人口の少ない地域を通過する以上、多少、設計規格が劣ってもE2山陽道(瀬戸内海沿い経由)で分散が可能という判断から、急カーブ・急傾斜といった元の地形に沿った構造を多用している。

 初期の計画・調査段階では、E2山陽道特有のトンネル連続・高架化・切り通し多用のフルスペックを目論んでいた。

時速60キロ設計

 北房インターと新見インターの間は時速60キロ(第1種第4級)設計であり、他の線区と比較しても急峻な谷間を強引にカーブで押し通す構造を多用している。そのため、ココだけは他のE2A中国道とは比べものにならない程に圧迫感を覚える。岡山県内の利用者による苦情などもあり、現在は北房インターと、そこから約2kmほど進んだ上下分離区間の手前までは「お情け」として時速80キロ(第1種第3級)に緩和されているが、他は時速60キロを堅持。

実は小月~下関は片側3車線化できる構造になっている

 小月インターと下関インターは関門都市圏特有の大動脈であることから、他と比べて路肩がやや広く作られており、その気になれば片側3車線へ改造できる構造にはなっている(拡幅の計画性はほぼ消滅)。

トンネル番付

E2A中国道で立体交差する鉄道路線

 阪神経済圏では京阪神への通勤利用者を中心に、沿線にニュータウンが沢山造成され、鉄道網もE2A中国道に対して立体交差を繰り返し、網の目のように張り巡らせている。一方、神戸JCT以西はJR西日本(旧・国鉄)管理の赤字ローカル線が大半を占めており、E2A中国道開通後に自動車交通転換が進んだこともあり、同社としては伯備線を除き、廃線をチラつかせる。三次インター以降は小郡JCT・インターまで鉄道路線と立体交差する所が一切無く、約200キロ近くも離れている。

歴史編

E2山陽道(本線)全線開通以降の役割

 1983年の全線開通で関西と九州の行き来が可能になり、1997年のE2山陽道・本線の全線開通後は、通過主体の車両を中心に瀬戸内経由に移動したため、現在は特定の線区ごとに交通量に開きが出ている。

 都市間移動としてのE2A中国道の役目は終焉を迎え、現在は地域間移動で部分的に活用されることで第2の人生を送っている。なお、E2山陽道が機能不全になる事態(繁忙期の渋滞など)があるため、その際はE2山陽道の代役として、この高速道路を迂回目的に利用する傾向が見られる。ダブルネットワークの重要性とは、このことです

三次~鹿野のルート選定

 あまり知られていないが、三次~鹿野は、現在のE2山陽道に限りなく近い所を通る案も存在していた(三次~国道54号沿いで広島市可部地区~旋回して鹿野)。結局はE2山陽道の整備計画線と重複してしまうことや、E2A中国道のコンセプトである「山陰・山陽の両立化」が困難になることから、予定通り中間部を経由するルートを採択している。

【参考文献】

[E2A] 中国道

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