道の駅おおとう桜街道沿いにある、不自然な直線道路

作成 2018年10月18日

廃線寸前まで「日本一の超大赤字路線」と酷評された「添田線」の今


(SUGOCAのカエル)道の駅おおとう桜街道前を通る、不自然な直線道路。
昔、ここにJR九州の「前身」が走っていたなんて、僕には分かりません。


田川方面を眺める。旧・添田線はこの後、大任町を縦断して香春町にあるJR香春駅へと向かっていた。
田川市の中心部である後藤寺・伊田を通らないので、確かに「空気輸送」と批判されても仕方が無い。

 大任町にある「道の駅おおとう桜街道」は、登録路線としては主要地方道・八女香春線が指定されているものの、実際に客の出入りが激しいのは主要道の西側を通る大任町道。不自然なまでに直線区間が多く、以前は国鉄でも走っていたのかと疑問を抱くだろう。

 それもそのはず。元々、この場所は国鉄添田線の跡地である。添田線は1915(大正4年)4月1日に開業し、1980(昭和55年)の国鉄再建法に伴って翌年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1985(昭和60)年4月1日をもって「戦力外(つまり、廃線)」となった。田川市の中心地である田川伊田駅・田川後藤寺駅を通過せず、現在のJR香春駅と添田駅を田川市のやや東側を通る形で整備されたため、現在の日田彦山線を利用するよりかは若干、時間短縮効果を発揮する場面もあったらしい。しかしそれは、言い換えれば「誰も乗らない」という空気路線であることに変わりなく、炭鉱産業に幕を下ろした1970年代以降は、超大赤字路線の常連として不名誉なレッテルを貼られ続けることになった。

 廃止後は自治体が独自に代替交通の一環として道路整備を実施したため、今のような不自然な直線道路が誕生している。このため、ただでさえ田川後藤寺駅以南が戦力外通告を受けそうなくらいに本数が少ない日田彦山線の「代替交通」という意味で考えれば、田川市中心部を通る国道322号+別の福岡県道よりかは早く、香春町⇔添田町を行き来出来ると解釈することも可能である。鉄道としての役割は終えたが、鉄路を現実路線に転換させたことが、今の道の駅利用や田川東部の幹線に転換できたと評価しても良いのでは無いか。

廃線跡を巡るのは、事実上「不可能」


添田町役場に残されている「添田駅1番線」の遺跡

 ほぼ全区間に渡って道路に転換されたため、現在の平成筑豊鉄道・上伊田駅近くに残されている分岐跡と、添田駅近くにある橋梁の部分に辛うじて国鉄があったことを示す銘板がある以外、廃線の名残を確認することは不可能である。駅跡も公園になったりと、もはや原型を留めていない。

 なお、現在の大任町役場は、この線路跡沿いに移動している。また、添田町役場には当時の添田駅1番線に存在していた駅名標と、当時の鉄道車輪が記念として展示されている。1980年代生まれの私にしてみたら「そんなの言われても」なのですが……。

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