東九州道あれこれ
作成 2021年7月20日
東九州道あれこれ
東九州道の設計速度
殆どの部分で最初から時速100キロでの走行を担保した設計になっており、現段階では暫定2車線で運用されている場所も、4車線化した際には、かなりゆったりとした移動が出来るように考慮されている。時速80キロ設計なのは、東九州道に並行する国道バイパス(椎田道路・宇佐別府道路・延岡南道路・日南志布志道路・隼人道路)と、旧・大分道に相当する速見IC・日出JCT~大分ICまでの区間に限定されている。
1991年に開通した延岡南道路が「ホントの」東九州道初開通区間。延岡に高速道路を誘致するため、建設省と日本道路公団の「奇策」で誕生した、曰く付きの有料道路である。
無料区間では本線上にSA・PA誘致をするだけの余裕が無く、有料区間でも民営化に伴うコスト削減を理由に慎重姿勢になっており、西側の九州道と比べると、恐ろしい程に少ない(福岡県:2カ所、大分県:暫定3カ所、宮崎県:2カ所、鹿児島県:1カ所)。無料区間では、インターチェンジそばの道の駅などで。
なお、別府市にある別府湾SAは、宇佐IC以北と大分米良IC以南が一本化された後も、しばらくの間は大分道のサービスエリアとして運用され続けてきた。しかしながら、高速道路ナンバリングの適用にあたって整合性が合わなくなったため、2018年8月5日の別府湾スマートIC開業と同時に、東九州道のサービスエリアに所属を変更。これにより、一応は東九州道にもサービスエリアが存在する事になる。
前述の理由同様、元々は大分自動車道として開業したため。別府湾スマートICのフルインター化に併せ、所属路線を東九州道に「鞍替え」させた。
但し、この区間における「本来の法律上の路線名」は「九州横断自動車道 長崎大分線」となっており、東九州道としては横断道と重複していることになる。
最初の計画段階では大分ICの近所に大分本線料金所を設置し、その先で一般道と直通する形で終点とする形になっていた。その後、大分米良ICのある国道10号大分南バイパスとの直通が必要になったことから、本線料金所の建設を行わず、現在の場所に大分IC・料金所を設置する形で移設。料金所予定地はNEXCO西日本の管理用施設となり、無理やり計画を変更したが故に急カーブが連発する事態になっている。
インターチェンジ番号の変遷
清武JCT~末吉財部ICは大隅地方を大きく縦断するかのごとく、日南・串間・志布志・鹿屋を経由する遠回りなルートを辿る。この背景には、1987年まで存在していた国鉄大隅線が廃止されたため、その代替交通手段の一つとして、鹿屋市をはじめとする沿線自治体が東九州道の誘致を行うことで「バーター」と見なしたからである。都城市と志布志市を結ぶ地域高規格道路「都城志布志道」も、ルートは異なるが、旧・国鉄志布志線とほぼ同位置を経由している。
過去に何度かヒビ割れや地盤沈下が起きて、再設計が生じている。
国分IC(1km手前標識)の歴史
参考文献:
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